朝のねこちゃん
マームとジプシー『モモノパノラマ』を観て、
藤田くんが亡くした猫のお話に、
わたしの猫のことを重ねてしまって。
-----
今年の4月、
我が家で18年半を共に過ごした猫が死にました。
3月の末の急に冬に後戻りしたような冷え込んだ日を境に、
食欲がなくなって食べなくなって、歩けなくなって、
そのままその命を閉じていきました。
私が小学校4年生の時、
朝の通学路にあるお寺の入り口で愛想良く足にまとわりついてきて、
「帰りにいたら拾ってあげるね」と勝手に約束し、
ひとり帰りにお寺の入り口で「朝のねこちゃーん」と呼んだらば、
「にゃぁ」とひょっこり出てきたその子を私は抱えて帰りました。
名前は<シュガー>と名付けました。
シュガーは庭が大好きで、
庭の畑で仕事をしている祖母のそばにずっといました。
暗くなっても仕事を続けていると、
「もう帰ろう、とにゃぁにゃぁ呼びにくるよ」とよく言っていました。
祖母が亡くなってからは母が庭の仕事をしていると、
付かず離れず(笑)の距離で見守り、時間になると知らせにやってくる、
ルーティーンワークをちゃんとこなす役割を全うしてました。
私は大学入学と同時に実家を出て、
下宿生活になりましたが、シュガーに会うために毎週末帰りました。
飼い主によく似てツンデレな性格なので、
久しぶりに帰っても「あ、そう」と迎えても、
夜には私の部屋にやってきて一緒に寝る(でも途中で枕取られる笑)。
そんなツンデレねこちゃんですが、
ある時家族が旅行で出払っていた夜に不意打ちに帰ったときは、
「え!帰ってきてくれたの?・・嬉しい・・」と言わんばかりに
ぴとっと寄ってきて、心が通じ合ったしあわせなひとときでした。
(飼い主の都合いい勝手な解釈ですが、でもそれでもいい笑。)
そう遠くなくやってくる別れはわかっていました。
シュガーも命の終わりを自覚していたと思います。
だからこそ、
一緒にいられる最期の時間をお互い慈しむように、
できるだけ長く一緒にいられるようにシュガーも頑張ってくれました。
歩けなくなってもずっと外を眺めていたシュガーを、
私は抱きかかえて一緒に庭を散歩して、
「だいじょうぶ、庭はあるから大丈夫だよ」って声を掛けたら、
ふと、安堵したかのようにシュガーの体の強ばりがとけた気がして。
絶命のその時は、私の腕の中で激しく痙攣しながら、
それでも、母が投げかける声に何度も答えるように鳴きました。
亡骸は、シュガーが大好きだった庭に埋めました。
父が穴を掘って、
母と妹と庭の花を摘んできて一緒に入れてあげました。
○●
そして、今、我が家には新しい猫ちゃんがやってきました。
窓際で横たわるシュガーを何度もお見舞いにきてくれた三毛猫ちゃん。
シュガーが呼んでいたのかな。これから頼むよ、って。

シュガーが死んでからも、
1週間後、1ヶ月後とちゃんとお墓参りに来てくれて。
シュガーを引き継いでくれている<メルちゃん>。
こちら自由奔放、ちょっと間抜けですが、ちゃんと庭の見回りしてます!
いままであまり書けなかったけれど、
大切なシュガーの記憶を留めておきたくて。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

たくさんの愛を込めて
ありがとう、シュガー
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
スポンサーサイト