どうしようもなさ、が愛おしい
公演終わってポッカリする間もなく
撮影や打ち合わせや指導などなど。
次はこんなことしたいなー、とか考えつつ。
ファッションデザイナーのフィービー・ファイロが
「信頼する良き友人4人さえいれば
情報過多とうまく距離をとって、
自分の信じることを貫き通す」というようなことを
何かのインタビューで言っていた。
ときどき小さな世界に溺れそうになるとき、
この言葉を思い出し、私は呼吸を整える。
私はあまり積極的に自分への感想を求めないのだけれど、
「どうだった?」と唯一切り出す相手のひとりと
あれこれ今回の作品を話していて、
「君の作品の魅力のひとつは面倒くさいところだ」と言われた。
たしかに。
こっちを向いてと追いかけて、
振り向かれたら逃げ出す。
そういう生産性のない労働を繰り返す。
どうしようもなさ、が私には愛おしい。
決して積み上がらないことを望みながら営むこと。
そういう感性のことを彼は「面倒くさい」と言ったのだと思うと、
妙に納得してしまう。
たぶん今回はぎりぎりの部分で
圧倒的な世界観が成り立っていたように思う。
これからの課題は、
私のその感覚を、ダンサーにどのように伝え得てもらうかの
作家としての試行錯誤が必要だ。
今回敢えてその部分は挑まず、泳がせていた。
それぞれのピントの合わせ方、
この人たちにはそういう不安と不信感も必要かもしれないと
どこかそう感じていた。
ある意味振付家として無責任なことだったかもしれない。
実際ダンサーからも指摘された。
「選ぶ人を間違えたら大変だね」とも言われた。
けれど誰にでも立てる空間ではなかった。
必要なのは
みんなでオー!というのではない意識や方向の共有。
歪に共鳴することが私にとって大切なのだ。
ダンサーとの対話の仕方。
この課題を整理して、
これからのクリエイションに活かしていきたい、です。
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